雨に思ふ。花に感じる。

2017/07/03

 

 昨夜から降り続いている雨が、小庭のワイヤープランツを青々と濡らしています。

自然の傘の下、住人カナヘビはゆっくりお昼寝かな?

この二、三日は大好きな日光浴もお預けのようです。

 

仙台の梅雨入りが発表されてから二週間が経ちますが、

こちらは雨が少ないな~という印象でした。

 

各地での豪雨の被害を考えると、

降るならどうか、これくらいのしとしと雨で勘弁してね~と言う感じです。

自然の前ではお手上げですが、

せめて願わずにはいられません。

 さて、

毎年この時期には、ご近所の方が紫陽花を分けて下さいます↑

お庭に咲いている紫陽花を、惜し気もなく切ってくださる姿に恐縮しつつ

「部屋が紫陽花祭りだ~♪」と喜んでいるわたしです。

ありがとうございます(^O^)/

 

お花って、見ているだけで気持ちが和みます。

庭園や山に咲く花も、道路のヒビから飛び出している花も大好きです。

 

そんなことを思っていたら、エックハルト・トールのニューアースの

一番最初の「花、開く」と題されたページを思い出しました。

 

そこには、こんな風に書かれています。

 

「人類の意識が進化するなかで、実用的な意味をもたない、つまり生存と結びつかないのに高く評価された最初の対象はきっと花だったに違いない。花々は無数の芸術家、詩人、神秘主義者にインスピレーションを与えてきた。イエスは、花について思え、そして花から生き方を学べ、と語った。ブッダはあるとき、弟子たちを前に一本の花を掲げ、「黙して語らなかった」という。しばらくして弟子たちの一人、摩訶迦葉(マハーカッサバ)という僧が微笑んだ(拈華微笑)。摩訶迦葉だけがブッダの沈黙の教えの意味を理解したのだ。言い伝えによれば、この微笑(悟り)はその後に二十八代の師に伝えられ、やがて禅の始まりになった。

 花に美を見出すことを通じて、人類はほんのつかの間であれ、自分の最も内なる存在の核心にある美や本質に目覚めるのではないか。

 美というものの最初の認識は、人類の意識の進化にとって最も重要な出来事の一つだった。

その認識と本来的に結びついているのが喜びと愛という感情である。それとははっきりと気づかないうちに、花は私たちにとって、自らのなかの最も高貴で聖らかな、究極的には形になり得ないものを表現するものになった。生まれ出るもとの植物よりももっとはかなくて美しく繊細な花々は別の領域から来たメッセンジャー、物理的な形の世界と形のない世界をつなぐ橋のようなものだ。」

 

もう何度も読んでいるニューアースですが、一ページ目って実はそんなに読んでないかもしれないです(笑)

だけどこの花の記述はとても印象的でした。

 

そして、さらに遡って思い出すのは、

花を見て美しいと思う感覚って、親や書物、何から得た情報でもなく、教わらなくても、そもそも言葉など理解できなかった幼い時から自然に備わっている感覚だったように思います。(思いませんか?)

 

何色だから好き、とかそういった頭で考えるレベルでもなく。

理由もない。

疑問も、恐れも一切無かった。

そこにある美しさに、ただ触れているような。

 

遠い日の記憶のはずなのに、鮮やかに体を巡る感覚があります。

 

それは外の雨音も一瞬消し去るくらい、

静かなところに私を連れて行ってくれる感じがしました。

 

 

 

ここまで読んでくださって

ありがとうございました!

ヾ(*´∀`*)ノ

 

いつかあなたとお会いできる日を

楽しみに。

 

 

 

エミ