たとえば、こんなことを経験したことはないでしょうか?
すでに起こった出来事について、あなたが思いをめぐらしている時・・・
そこには自分の考えも感情もあるのだけれど、それを言葉にして表現しようとすると何と言っていいかわからない・・・。
でも確かに、自分の内側に存在する「何か」。
胸に感じるもやもや?
お腹が熱くなるような感じ?
どれも違うような・・・。
言葉で簡単には表現できないけれど、自分のなかにある「何か」には気が付いている。
そんなことはありませんか?
からだは、言葉では表現できないかすかな違いを感じ取ることができます。
頭では気が付かない些細なことでも、からだは「何か」があることを知っているのです。
この、「あなたのからだを通して伝えてくる、かすかに感じ取られる何か」を「状況のフェルトセンス」と呼んでいます。
過去や現在を問わず、何らかのある状況があなたのからだにそのフェルトセンスを与えているのです。
違和感を表すフェルトセンスもあれば、安心を表すものもあるでしょう。フェルトセンスは肯定的でも否定的でもどちらも存在します。
外的な出来事によって、内面的な「何か」=「フェルトセンス」が引き起こされているのですが、その「何か」を簡単に表すことがなかなかできないことが多くあります。
たとえ言語化できなかったとしても、外的な体験と自分自身の内側がうまく結びつけられていれば何も問題ないでしょ?と捉える方もいらっしゃるかもしれませんが、
フェルトセンスと言語というのは重要な関係にあると思います。特に幼少期です。
言葉は非常に便利なもので、自分の内側で起きていることを伝えることを可能にするものですが、限界もあります。
「何か」を表現するため・・・つまり自分の感覚を相手と共有する際に、感覚を言語化するために頭を使うことが追いつかなくなったり、他のことに気を取られたりしているうちに、からだで感じている感情への関心が薄れてしまったりするからです。
体の感覚に注意を向けることが乏しくなり、結果的に自分自身が外側と内側の体験を結びつけることすらしなくなってしまうのです。
要は、見ないふり、感じなかったふりをしてしまうことに繋がる訳ですが、フェルトセンス自体は消えることなく体に留まって行きます。
また、自分のからだが体験していることを他者と共有する際に生まれた「隔たり」によっても問題が生じます。
例えば、幼い子供だった場合。
トイレトレーニング中だった子供が、さっきもトイレにいったのにまたトイレに行きたがったとします。
そこで母親が、「さっきもおトイレにいったばかりだから大丈夫よ」と声をかけたとします。
子供にはまだおしっこをしたい感覚が残っているのに、次にまた同じ状況がやってきたら「さっきもおトイレにいったから大丈夫」と自分自身に声をかけるかもしれません。
人の行動とは、その人その人がどのように状況を受け止めているかで決まってきます。
外的な出来事をどんなふうに判断するかで、感情も引き起こされます。その感情はその人の行動にまた大きな影響を与えるのです。
私たちが、自分の気持ちをどう受け止め、どう反応するか。
この能力は人とのコミュニケーションや、社会での人とのつながり作りにも大きく関わっています。
からだで感じている感情や、からだの感覚を無視することが当たり前になってしまうと、おのずと社会に適応する能力にも影響が出てくることになるのです。
セラピーにおいては、「フォーカシング」という手法をつかって、「フェルトセンス」に注意深く、丁寧にフォーカスを当てて行くことが可能です。そうすることによって、自分の内側の「何か」が意味を持っていることを発見できることがあります。
「何か」を他の言葉にしたり、感じたり、聴いてみたりする・・・つまり、からだを通してあなた自身の内側に耳を傾ける。
フォーカシングで体験の全体を感じ、考えや答えを自分自身の内側から見出していくことで、自分自身への信頼と安心のスペースを内側にしっかりと構築して行けるのです。
フォーカシングは、個人でも、グループでも行えますし、会社や教育現場への導入も可能です。子育て中の方が、子供と自身の為にフォーカシングをすることも非常に大きな意味のあることだと思います。
わたし自身がセラピーの世界に興味をもったきっかけも、このフォーカシングでした。
参考文献 ”The Power of Focusing”(1996)Ann Weiser Cornell.