内側の”何か”にフォーカスしてみる。

 

たとえば、こんなことを経験したことはないでしょうか?

 

すでに起こった出来事について、あなたが思いをめぐらしている時・・・

 

そこには自分の考えも感情もあるのだけれど、それを言葉にして表現しようとすると何と言っていいかわからない・・・。

 

でも確かに、自分の内側に存在する「何か」。

 

胸に感じるもやもや?

お腹が熱くなるような感じ?

どれも違うような・・・。

 

言葉で簡単には表現できないけれど、自分のなかにある「何か」には気が付いている。

そんなことはありませんか?

 

 

からだは、言葉では表現できないかすかな違いを感じ取ることができます。

 

 

頭では気が付かない些細なことでも、からだは「何か」があることを知っているのです。

 

 

この、「あなたのからだを通して伝えてくる、かすかに感じ取られる何か」を「状況のフェルトセンス」と呼んでいます。

過去や現在を問わず、何らかのある状況があなたのからだにそのフェルトセンスを与えているのです。

違和感を表すフェルトセンスもあれば、安心を表すものもあるでしょう。フェルトセンスは肯定的でも否定的でもどちらも存在します。

 

 

外的な出来事によって、内面的な「何か」=「フェルトセンス」が引き起こされているのですが、その「何か」を簡単に表すことがなかなかできないことが多くあります。

 

たとえ言語化できなかったとしても、外的な体験と自分自身の内側がうまく結びつけられていれば何も問題ないでしょ?と捉える方もいらっしゃるかもしれませんが、

 

フェルトセンスと言語というのは重要な関係にあると思います。特に幼少期です。

 

言葉は非常に便利なもので、自分の内側で起きていることを伝えることを可能にするものですが、限界もあります。

 

「何か」を表現するため・・・つまり自分の感覚を相手と共有する際に、感覚を言語化するために頭を使うことが追いつかなくなったり、他のことに気を取られたりしているうちに、からだで感じている感情への関心が薄れてしまったりするからです。

 

体の感覚に注意を向けることが乏しくなり、結果的に自分自身が外側と内側の体験を結びつけることすらしなくなってしまうのです。

要は、見ないふり、感じなかったふりをしてしまうことに繋がる訳ですが、フェルトセンス自体は消えることなく体に留まって行きます。

 

また、自分のからだが体験していることを他者と共有する際に生まれた「隔たり」によっても問題が生じます。

 

例えば、幼い子供だった場合。

 

トイレトレーニング中だった子供が、さっきもトイレにいったのにまたトイレに行きたがったとします。

そこで母親が、「さっきもおトイレにいったばかりだから大丈夫よ」と声をかけたとします。

子供にはまだおしっこをしたい感覚が残っているのに、次にまた同じ状況がやってきたら「さっきもおトイレにいったから大丈夫」と自分自身に声をかけるかもしれません。

 

 

人の行動とは、その人その人がどのように状況を受け止めているかで決まってきます。

外的な出来事をどんなふうに判断するかで、感情も引き起こされます。その感情はその人の行動にまた大きな影響を与えるのです。

 

私たちが、自分の気持ちをどう受け止め、どう反応するか。

この能力は人とのコミュニケーションや、社会での人とのつながり作りにも大きく関わっています。

からだで感じている感情や、からだの感覚を無視することが当たり前になってしまうと、おのずと社会に適応する能力にも影響が出てくることになるのです。

 

 

セラピーにおいては、「フォーカシング」という手法をつかって、「フェルトセンス」に注意深く、丁寧にフォーカスを当てて行くことが可能です。そうすることによって、自分の内側の「何か」が意味を持っていることを発見できることがあります。

 

「何か」を他の言葉にしたり、感じたり、聴いてみたりする・・・つまり、からだを通してあなた自身の内側に耳を傾ける。

フォーカシングで体験の全体を感じ、考えや答えを自分自身の内側から見出していくことで、自分自身への信頼と安心のスペースを内側にしっかりと構築して行けるのです。

 

フォーカシングは、個人でも、グループでも行えますし、会社や教育現場への導入も可能です。子育て中の方が、子供と自身の為にフォーカシングをすることも非常に大きな意味のあることだと思います。

 

 わたし自身がセラピーの世界に興味をもったきっかけも、このフォーカシングでした。

 

 

 

参考文献 ”The Power of Focusing”(1996)Ann Weiser Cornell.

 

「君が大人になっていく その季節が...」

心友からのお花に、こころが安らぎます。ありがとう。

2019年3月11日。

震災から8年が経った昨日。

仙台は、まるで空が泣いているかのように、雨が地に降り注いだ一日でした。

 

震災で亡くなられた多くの方々のご冥福を祈ると共に、悲しみを乗り越えて今を生きている方々への思いも、心に溢れる一日となりました。

 

 

 

今日は個人的なことになりますが、私と息子のある日のやり取りを書かせていただきますね。

 

 

私自身、生きることの励みになったし、私の生き方を考えさせられる出来事でした。

 

 

 *****************

 

 

息子は9歳になりますが、最近また「なんで?」「どうして?」の質問が増えてきています。

 

でも5,6歳の頃のなぜなぜ期(質問期)とはまた違って、「なんで?」の中身が一段階掘り下げられてる(*'▽')

社会性の発達やら、人間の成長というのを間近に感じている今日この頃です。

 

あれやこれやと延々と湧いて出る子供の質問に、全て答え続けるのはなかなか難しいものです。

 

もちろん、親としてはすべてに答えてあげたい。そんな気持ちでいっぱいですよ。

ただ、最近あった息子との出来事で、

 

あぁ、すべてのことに、親が子供に納得がいく答えを出してあげたり、親の言葉で説明できるものだけではないのだな・・・と思ったことがありました。

 

 

息子「ねぇねぇ、お母さんのお仕事ってさぁ、何するんだった?」

私 「心理セラピストだよん」

息子「それはもう知ってる。お母さんは心理セラピストとして、何をしてるの?」

私 「例えば、お話を伺って・・」

息子「それも知ってる。お母さんは何のためにこのお仕事をしているの?」

 

↑この質問に対して、「楽しいからだよ~」とか「好きだからよ~」など、ワンセンテンスでは消して逃げ切れないのがこの時期特有ではないでしょうか(笑)

 

息子「何が楽しいの?どんなところが?具体的になに?」

 

ここから先は、どんなに具体的にお話しても

 

「ふ~ん(´・ω・`)(いまいちピンときていない表情)」が続きました。

 

なので、「お母さんが何してるのか、考えてみて~」と極めて大雑把&質問返しをして、その日は終了したのですが...

後日、思いもよらない言葉が息子から返ってきました。

 

 

それは、ある歌番組でスキマスイッチの「奏」という曲が流れていた時のこと。

息子が突然「あ!これか~」ハイハイと妙に納得しはじめて、「何がこれなの?」と私がたずねると

「お母さんの仕事は、これだこれだ。」と、息子は「やっとわかった~」という表情。

 

な...何がこれなんだよ( ;∀;)...という母の頭の中の「?」は無視され、

本人は「あーすっきりした」と満面の笑み。

 

 

よくよく訊いてみると、

「奏」にはこんな歌詞があるそうです

 

『君が大人になってくその季節が

 悲しい歌で溢れないように

 最後に何か君に伝えたくて

「さよなら」に代わる言葉を僕は探してた

 

 君の手を引くその役目が僕の使命だなんてそう思ってた

 だけど今わかったんだ 

 僕らならもう 重ねた日々がほら、

 導いてくれる

 

 君が大人になってくその季節が

 降り積もる間に僕も変わってく

 たとえばそこにこんな歌があれば

 ふたりはいつもどんな時もつながっていける』

 

スキマスイッチ『奏』より youtubeのOfficial Augustaのページに飛びます

 

 

 

もちろん、わたしがスキマスイッチのように歌を作っている....ということではないことはおわかりだと思います(笑)

読み解きなどナンセンスだなぁと思うので、あえてしませんが、

 「たとえばそこにこんな・・・何かがあったら・・・」といつも思っている、

息子よ、ビンゴ!!だよ。

 

人間にとって大切なことのその多くは

「母である私」が論理的に説明できることばかりではないんだなぁ...と息子を通して感じた出来事でした。

 

 

そして、子育てって

お互いが相互に作用しあって、

何かを見つけ、気づいたり

作り上げて、

共有していくことなんだなと思いました。

 

なんか人生って宝探しみたいなものですね。

多くの素晴らしいヒント、そして宝物が

思いもよらないところに散らばっている。

そう感じました。 

 

 

 

 

2019年がスタートしました♪

 みなさま、明けましておめでとうございます。

1月4日より、セッションスタートしております♪

本年もSALON BERCEAU&Orchidをどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

  SALONBERCEAU(サロンベルソー)では、静かで安全な環境のセラピールームで、クライアント様お一人お一人に合わせカスタマイズしたカウンセリングやセラピーを行っております。

 

 クライアント様からのご紹介や口コミ、web検索などで毎月ご新規の方が来て下さいます。

宣伝をほとんど行っていない状態で、ひたすら皆様の信頼に支えられ、わたくしもセラピストとして歩んでおります。このことに心から感謝を申し上げたい新年のはじまりです。

 

 昨年一年間を通して感じたのですが、セッションをリピートして下さっているクライアント様が、辛い時だけではなく、嬉しかったことや楽しかったことをシェアしてくださる為にご予約下さることがありました。これはとても驚きでした。

 

 「今、人生が楽しいです!」と、初回のセッションでは真逆を叫んで泣いていらした方が…。゚(゚´Д`゚)゚。満面の笑みでいらしたり。(一年間、がんばったよね~~~~)

セッションご卒業された方が、近況報告しにいらしてくださったり。メールやLINEもたくさん頂戴します。本当にありがとうございます。

 

  私自身も、この仕事を始めたときからは想像もできなかった場になりつつあるサロンベルソーです。

 

 

  生きていれば、楽しいこと、嬉しいことも、幸せなこともあります。

  同じように、悲しいことも、不条理なこと、泣きたくなるようなつらいことなどもたくさん起こるでしょう。

 どうして私ばかり…。そう思って全て投げ出したくなる時もあるかもしれません。


  でも、それらの全てが、

  あなたの、わたしの、愛しい人生。

  愛おしい命の証 なのです。


  全ての魂に、敬意を込めて。

 

 

 

 

 

 

 

【さてここからはOrchidのお知らせです♪】

 

 Orchidのご予約は完全会員制となりました。

会員の方以外非公開ですm(__)m残念ながらのぞきもできません♪

 

 ★新規のご予約は、現会員の方からのご紹介のみとなっております。

(ご紹介カードをお持ちの方は記載されているurlから直接お入り下さい♪ 某おでん屋さんに行ってももうカードは手に入りません。全て配り終わったとのことです。ゴメンナサイm(__)m )

 

    

ごぶさたです♪

2018/9/14 Thursday

 気が付けばもう9月。BLOGの更新、だいぶご無沙汰しておりました。

 

夏の間サロンをお休みして、2年ぶりのロンドンへ行ってきました。

向こうでは、セラピーに関することはもちろん、自分の興味の赴くまま

ディスカッションやセミナーに出席したり、

セッションを受けたりしてきました。

もちろん、観光も~♪おいしいアフタヌーンティーもできましたよ。

 

スクールやお世話になった方のご自宅がハイドパークの辺りだったので、

朝も晩も(夜8時でもまだ明るくてびっくり)パークでゆったりと過ごすことができて、

自然が好きな私はとてもリフレッシュできました。

 

学んだことの中には、

私自身の人生に活かせるもの、

そして

個人セッションでお伝えできることもたくさんあります。

 

いままで学んだセラピーとはやり方が違っていたり、考え方も表現も様々でしたが、

総じて、見ている方向・向かっている方向が同じ・・・という感じがしています。

 

どれが正しいとか、

間違っているということではなく

全てのエッセンスが、私の体にただただ染み入ってくる感じがしました。

 

本当に、セラピーの学びの時は

学生の頃に感じていたような

義務感や、窮屈な感覚がなくて、

鉛筆とノートの苦い香りの思い出が、

甘くて楽しいものへと変わっている実感があります。

 

あの頃の勉強とは内容が全く違いますので、一概に比べられるものではないのですが、

今、とてもいい体験ができています。

 

全ては私の中に溶け込んでいます。

それは今後のセッションの中で、自然に活きて、湧き出てくることでしょう。

どうぞ楽しみになさっていてくださいね♪

 

 

暑くて湖に飛び込んだわんちゃんたち♪

 

 

 

 

 

 

 

 

GIDの話から、いろいろ

2018.06.07 thr

 

 SNSで、全く存じ上げない方から「お子さんはGIDですか?」との突然のダイレクトメッセージを頂いたことがあります。


 その方と私は全く面識がないし、

 私がそのような内容の話題を取り上げたこともないので、あくまで推測ですが、

その方が子供の写真を見てそう判断されたのかな?と思っています。


...だとしたらこの方の頭の中ではストーリーが爆走中で、境界線越えしてらっしゃるなと感じました。


 ご自身のGID治療に対する見識と、治療の必要性を説いておられ、「当事者の大半が治療(二次成長抑制療法)が遅れると後悔する」と書いてらっしゃいました・・・。

おっしゃられてる事の意味は充分理解しております。

 

 今回は境界線の話をしたいわけではないので、さらっとだけ触れますが・・・

 

 そもそもこのメッセージに、「はい」とか「いいえ」とか答える義務はないんですね。

 

今すぐブロックするもよし、

「そもそもまずお前は誰なんだ」と問い返してもよいですし(笑)  対応はまったく人それぞれでしょう。


写真を見た方が、ご自身で何かを判断されて、

ご自身の解釈やアドバイスを

送ってこられた訳です。

 


これ、

私なりの例えで言わせてもらえば、


「今日のパンツは白ですか?」


「今すぐピンクのパンツにしないと後悔しますよ」と、突然見ず知らずの方にお節介なアドバイス?をしているようなものです(笑)

 

そしてこの「今日のパンツ学」有識者のファーストコンタクトは、私は人として決して真似したくない、最悪のコミュニケーションスキルだなーと思います。


  でも、直観でお相手の長年の痛みや良心が見える場合は、名を名乗れゴルァと絡むこともなく・・・ただただ画面に向かって微笑みを返すという…軽く抑圧しながら話を先に進めますね♪( ´▽`))


SNSにありがちかな〜と思いますが、

自分本位な効率性、即効性等を重視する裏で、人と人とのコミュニケーションの根底にあるはずの大事なものが失われつつあるのではないか、と危惧する瞬間でもありました。


 

まぁ、今回はその話ではなく・・・

書きたいことの本筋から逸れてしまうのでもとに戻します。

 

 

GIDとはGendre Identity Disorderの頭文字で、日本では「性同一性障害」と訳されている方がまだ多いかもしれません。

自分の自認する性と身体が不一致であって、そこに生きづらさを感じている人たちのことです。

DSMでは「性的違和」と診断名が新しくなっていました。改定された意図は、当事者が自認する性と身体の不一致は障害ではないとはっきり明示することにあったと思われます。DSMに記載されているのですから精神疾患ということにはなっていますが…そもそも体や心に何か異常がある、というわけではありません

    もちろん、生き辛さやほかの病からの性別違和もあって、本当にひとそれぞれです。

 

法律も制定され、社会的にも性別を移行することが認められたりという動きがでてはいるものの、

やはり取り組みとして、結局それらは医学の世界の範疇を抜けきれていない気がしてなりません。


 

そもそも、自分の自認している性に合うよう、身体を変えたいと望むことを「障害」と判断していたこと自体に違和感を感じます。


 

病理化し、障害と名の付く枠組みの中で当事者の方々を捉えていくということは、「性同一性障害」という診断結果の大前提から当事者を逃れられなくするのではないでしょうか。「治療すべき」、「治すべき価値観を生きている患者」というラベリングをすることにほかなりません。

 

 

今、もしかしたら私が書いている内容が全く通じてないのではないか・・・という一抹の不安がよぎりましたが(笑)臆せず続けます。

 

 

そもそも性の自認は社会的や心理的な要因が大きく、また当事者と長年対話している方のお話だと、変わったり揺らいだり流動性があるのもまた事実なんですね。どうしても治療となると「男」か「女」かの二者択一が迫られてくる。ホルモン治療だと、どちらか選んだ性別にそって今後の人生生きていけるかという判断も大事になってくるわけです。そうして治療方針が決定される。治療をするには「二者択一」で「永続的なアイデンティティー」が押し付けられるわけです。

また関わってくるお医者さんの「男らしさ」「女らしさ」の観念は治療を受ける側に大きく影響するかもしれません。当事者も過剰な「らしさ」を装うことによって、自らの性の自認の正当性をよりアピールしようとする可能性も考えられます。


 

要は、「障害」や「永続的な二者択一」の世界観のなかだけで当事者を捉えていくということに、わたしは疑問を持っています。


 

 性の多様性、アイデンティティの自由や流動性、それを「障害」や「病気」とは呼びません。


 当事者の苦しみを「男」か「女」かの特定のアイデンティティに繋ぎ留め解消することは、当事者の根本的な苦しみの解決にはならないのではないでしょうか。


 もっと個々の性の在り方を全体的に捉え、まずは徹底的にその方が今感じているリアリティーに沿ってゆっくりとカウンセリングを進めていくことが必要なのではないかと思うのです。(自認する性と体の不一致を病理化することが問題なのです。そこから生まれる苦しみはいわゆる「治療」の対象となり、当然、希望する方が適切な治療や処置を受けられるのが大前提であります。)

 

 わたしは、この苦しみの部分において、例えばRFTやマトリックス・リインプリンティング、EFTなどのセラピーは非常に有効であると思っています。これらは「治療」ではなく、ご自身と深く向き合っていく方法です。自分が「これぞわたしのリアリティ」と思っていたものが解体されていく。そうして浮かび上がってきたものこそが問題の本質であるのです。

 

* * * * * * * * *

 

書きたいことがたくさんあって書ききれないという現象が起きています(笑)


 

そして、もうひとつ。

これは私のなかでいつも起こっていることの一つで、

いわゆるマジョリティーとマイノリティーの二つの間の圧倒的な不均衡…これを解消していきたいという強い思いがあるんですね。

これは私の中で、力や数の論理がまるで真実であるかのように感じられているからであって、これが本当に感じたくない不快感だからこそ、不均衡を感じなくて済む、多様性や差異を認め合える社会を築こうなど、自分なりの理想を掲げるのだと思っています。

ここは本当に私の見どころであり、自己ワークで何度も取り組むテーマの一つでもあります。

 

 

 ですからセクシャルマイノリティに関する出来事も、例え自分が当事者でなくても、自分の痛みが反応している部分は大いにあるのだと思います。


もちろん、自分の問題と切り離すのは大前提なのですが、痛みを知っている私だからこそ、見えてくるものがあります。そして、「不均衡」さに感じていた重くて硬いエネルギーがほどけて、純粋に温かさの中で人と人とがつながれることを望んでいるイデアを自分の中に体感したとき、私を動かしていたのはこのエネルギーだったんだ…と心が温かくなるのです。

 そして、本当の意味で寄り添って、歩むことができるのだと思っています。

 

 

 

新規クライアント様のセッションをお休みしております。

2018.5.13 sun

 

ただいま、新規クライアント様のセッションをお休みさせていただいております。

 

理由は、母の介護の為、セッションにさける時間が一時的に少なくなっており、

継続のクライアント様のセッションを優先させていただくとセッション可能日が埋まってしまうからです。

 

お問合せを頂いている皆様には大変ご迷惑をおかけしております。

新規クライアント様のご予約再開は、今のところ9月頃を予定しております。

詳しくはHPでチェックして頂ければ幸いです。

どうぞ今後ともよろしくお願い致します。

 

 

3.11に寄せて

2018/03/08 thu

 

昨年の3.11は、SALON BERCEAUにてオープンサロンを行いました。

 

遠方からお越しいただいた方、

お手紙やお花をお寄せくださった方、

いつも支えてくださる方、

また初めてお会いする方とも、

共に貴重な時間を過ごせたことが今でも温かく心に残っております。

 

ありがとうございます。

 

今年は私自身、思うところがあって、オープンサロンは行わずに個人セッションのみとさせていただいております。

 

 

先日のことですが、「近況報告♪」というメッセージと共に、ご予約を下さったクライアント様より(昨年中に継続セッションは終了していた方なのですが)

「事業もようやく落ち着いてきたので、またセッションを再開したいです」とのお声を頂きました。お仕事も徐々に復活されているそうで、本当に嬉しい限りです!(ご本人のご了承を得てエピソードを公開させていただいております)

 

セッションをまた受けてくださるのももちろん嬉しいことなのですが、

やはり一番は、

あれだけの壮絶な体験をされ、

それから何年もの間、日々襲ってくる無気力や絶望感の中で本当に身動きが取れなくなった時期を乗り越えられ、今、こうしてご自身に立ち返りしっかりと目の前の道を歩んでらっしゃる。

 

その姿に、

いのちの持つ偉大なパワーを感じずにはいられません。

 

 

「まだまだ全てOKじゃない。

これからも良いことばっかりじゃないだろう。もちろんまたおっきな地震だって起こるかもしれない。

それでも大丈夫なんて簡単には言えない。だけどずっと全身ガッチガチだったあの緊張感が抜けて楽になったのは俺の中では事実です。」

 

メッセージに思わず微笑みました。

 

 

  * * * * * * *

 

 

 

 

みなさんそれぞれの想いで迎えてらっしゃる3.11だと思います。

 

私は、セラピストとして、またひとりの人間としても、社会に対してどんなことができるだろう?と日々考えています。

 

自身が何か役割がなければ生きていけないとか、

満たされないものを満たしたいという思いももちろんあるのでしょうが、

 

心臓のリズムのごとく突き動かされる何かを感じ、それに従って生きています。

 

何かお役に立てることがありましたら、遠慮なくお声掛けくださればと思います。

 

また、わたしも、魂の赴くままに、これからも発動していきたいと思っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年もどうぞよろしくお願いいたします!

2018/01/08 mon

     

明けましておめでとうございます。

本日よりセッションスタートしております♪

 


寒い日が続いている仙台ですが、空気が冷ややかなこの時期こそより一層、一筋の陽の光の温かさや、その恵みを感じませんか?


↑の写真は、先日家族で森の中を散策した時に撮影した一枚です。

大好きなヒマラヤ杉の下で撮りました。

大きく枝を伸ばし、冬でも青々とした葉を茂らせる姿はいつも頼もしく、このヒマラヤ杉は森の宝だなぁと思っています。

しかしこの日は寒くて、大きな葉の下で薄暗いし、とにかくここには何分もじっとして居られない…という感じがしていました。凍っちゃう…


しかし、ふと気がつけば…

ここにもしっかり陽の光が届いていました。


しばらくじっとしていなければ、

気がつかなかったかもしれません。


冷たい空気の間をぬって、私と幹に届いた光。ほのかに温かく、そしてとっても穏やかでした。

 


どんなに辛いと感じる状況の中でも、


まるで永遠に続くかのような、闇の中にも、


必ず光が射します。


私の体験からも、ほんとうにそうだったなぁって

思い出した

2018年の素敵なはじまり、でした。



 

今年も、人と人とのつながりの温かさを感じながら一歩一歩を大切に歩んで行きたいと思っております。

 

あなたと共に♪

 

 

 

小宮エミ

 

 

 

 

 

 

「わたし」の還る場所がある♪ ~体感が呼び覚ましてくれたもの~


2017/10/24 tue

 

先週の土曜日は、1月から月イチペースで通っていた浦松ますみさんの「問いかけとセラピーの勉強会3期生」(in 石神井公園♪)でした。

セラピーを学ぶ仲間たちが集い、10回のコースで勉強を続けてきました。

 

回を重ねるごとに深くなるラポールは、その場に集ったあの仲間とだからこそ生み出される、安心や信頼感のなせるものだったなぁと・・・

 

いま改めて、

ご一緒できたみなさんに

感謝の気持ちでいっぱいです(^O^)/

 

 

 

講師の浦松ますみさんは、JMETのEFTトレーナーetc...で、ロンドンの大先輩でもあります。

 

ますみさんはご自身の持ってらっしゃるスキルやテクニックを、受講する私たちに惜しみなくシェアしてくださいました。

 

 ここでの学びは、知識を習得するとか、頭に叩き込むとか、そういう類の学びではないんですね。

私自身が、その場のエネルギーをよーく感じて、体感で学んでいくような感覚でした。

 

そしてこれは・・・勉強会の本来の趣旨ではなく、ますみさんご本人も全く意図していないところではあるかと思いますが、

セラピストとしての在り方(これは在るべき姿ということではありません。在り様を観察するに近い)から、感取するところが

わたしにとってはすごくすごく大きかったです。

 

今後も引き続き、ますみさんの「問いかけラボ」でこの「体感する学び」を続けていきます。

とても楽しみでワクワクしています。

 

「問いかけとセラピーの勉強会」は、4期5期・・・と続いていますので、

セラピストを目指している方orそうでなくても、

EFTやマトリックスを勉強してさらなるスキルアップを目指している方にも、

セラピーオタクでワイワイしたい方(笑)にもおすすめです。

 

ますみさんのHPはこちらから♪

 

 

 

ところで、この「体感する学び」に通づる話なのですが・・・

あぁ、今回は結構長くなりそうな予感・・・(笑)

 

 

この、体で感じて得たものって

よーく体に染み込みますよね。

って話が無性にしたくなりました(笑)

 

 

これは個人セッションや自己ワークでも同じことが起こっているなぁと、わたしは思っています。

 

 

ほんとうに、細胞の一つ一つまで刷りこまれた、

例えば、安心感や、信頼感とか

ポジティブな感覚って、

 

自らの内側にもともとあった、既知・既存のものを呼び覚ましてくれる感じ があるんですね。

 

そうして得た・・・というより

思い出した感覚

揺るぎのない、深いものでした。

 

 

HPのごあいさつにも少し書きましたが、

人を「信用」・「信頼」しない、できない時がわたしにはありました。

 

基本そのスタンスで、人生の大半を生きてきた気がします(笑)

 

 

当時は、

「人を信じてはいけない」わたしなりのマズイ理由・理路整然とした完璧なストーリーがあって、

それはこの世の絶対真実の壁としてわたしの前に高々とそびえ立ってたのです。

 

その壁に囲まれながら、

「もう絶対人なんか信じない!」

「わたしのそばに寄るな!」

「みんな嘘つきだ・・・」などなど、壁の外に向かって毒を吐き続けていました。

 

そしてその一方で、

「人を信用しないわたしだから、人からも信じられるはずがない」

と、自分バッシングも も~うバンバンに行っていたわけです。

(む・・・無限ループ 汗

ここ、「壁」や「毒」といった抵抗の声を徹底的に訊く自己ワークにも時間をかけて取り組みました。

すばらしいメリットがあったし、健気な姿が本当に愛おしかった。いつかシェアしたい♪)

 

 

でも、本当はね・・・

その下に隠れていたのは

 

「人を信じたい・・・」

「わたしのことも信じてほしい」

「助けてほしい」

「受け入れてほしい」

「わたしがわたしを信じたい!」と

 

声なき声で叫び続けている、

一人で震えている小さな小さなわたしだったんです。

 

 

その子に温かいスープを飲ませて、時間をかけて、

壁だと思っていたものを融かし、

毒だと思っていたものを土に還していくような

そんなイメージで

何度も何度も諦めずに

その子(エコー)の「思い」と「感覚」と「感情」に寄り添い続けました。

 

さらに、

出てくるエネルギー、とにかくすべてを拾い上げて

ただただ、見つめていく。

徹底的に観察しきっていく。

 

そうすると、

出てくるものはだんだんとシンプルになっていきました。

 

 

そして、「わたしだと思っていたもの」はもはやはじめからなくて

それが喉から手がでるほどに欲しがっていると思っていた、

でも手に入らないと思っていたものの

 

その中に、もう既にあって

その中で、

命を存分に輝かせていたこと に気が付いたのです。

 

 

その時、目からこぼれた涙の温かさを

いまでもはっきり覚えています。

 

 

言葉にするのがすごく難しいのですが、

それからは見ている視点が変化したというか・・・

もっと大きな視点から、

人や出来事に寄りそう感覚をありありと思い出しました。

 

 

これって最初に話していた

体感して、得た(思い出した)感覚だとわたしは思っていて

いくら言葉で説明しようと思っても

ぜんぜん説明しきれない、

はっきり言って無理なところなんですよね。

(ではなぜ書いたんだ・・・という突っ込みが聞こえますが、書かずにはいられない、それでもお伝えしたいところなんです!(≧◇≦))

 

 

還ることができる場所というのは、

最終的にはここだ~と実感しています。

 

時間をかけてもいい、ゆっくりでもいいから

丁寧に観察を続けていく。

あなたの癒しのプロセスの、

その過程一つ一つが

私にとっても、とても愛しい作業であるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

お休みを頂きました♪


2017.10.23 mon

 

本日は台風の影響により、サロンをお休みさせていただきました。

 

ご予約日程を変更してくださいましたクライアント様、ご不便をおかけしました。

(振替日でお待ちしておりますね。)

 

わたしは久しぶり&突然のお休み♪ということもあり、ここぞとばかりに(笑)しっかりエネルギーチャージいたしました(^_-)-☆

今週も皆様とサロンでお会いできるのを、楽しみにしています。

 

エミ